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カスタマーレビュー
おすすめ度:
前半は内田百間に肉薄
(2009-01-03)
内田百間(門構えに月)の幻想小説のような怪談集。全8編で、うち後半の3編が書き下ろし。
他誌掲載作の方がレベルは高い。とくに最初の2編は、人生に絶望した中年インテリの心象風景として優れた作品と思う。一方、書き下ろしは明らかにレベルが下がり、とりわけ最後の一編では、この作者の悪い癖である、まとまらない思弁の垂れ流しが目立つ。
私の子ども時代の記憶は断片的で、たとえば引っ越しの記憶は、眠っていて目が覚めたら新しい家に居て、頭の傍に新幹線の模型が置いてあった、ただそれだけである。なぜそんな、劇的でも何でもない記憶だけが後年まで長々と残ったのだろう?
小さい頃、母が忙しくていっしょにゲームをしてもらえないと、母からよく「花子さんと遊びなさい」と言われた。花子さんと私は、仲良くいっしょに遊んだものだった。そこに居ない誰かを相手に遊ぶ子どもの話はよくあるが、私の場合、そこに誰かの存在を認識していたわけではない。しかし私が夢中で演じた一人二役が意識的なものだったかと言われると、そうでもないような気がする。花子さんはその場に居たのだろうか?居なかったのだろうか?
内向的な人間が密かに考えるような疑問を、本書では何度か扱っている。こうした空想に親近感をもてる読者にとって、本書のリアリティは高い。論理的整合性は乏しくても、主観的整合性が高ければ、小説は十分成立する。それが最近読んで不満であった「おそろし」(宮部みゆき)との違いである。
意欲作
(2008-12-16)
私は京極夏彦氏が書く、こてこてのミステリー作品が大好きだ。
この短編集は一読すると薄く内容もないように感じるけれど、ミステリーの仕掛けやキャラクターといったもの外した、京極作品のエッセンスが凝縮されている短編集です。
まるで京極堂シリーズの関口巽がひとりで思い悩んでいるような話もあえば、荒唐無稽なフリークスが登場したりもする。
徐々に盛り上がってきたところでお預けをくらうような、むず痒くなるサジ加減が凄いと思った。
けっして純文学ではないけれど、とても文学的で考えさせられる話ばかり。
怪談の新境地
(2008-10-04)
京極氏が日常のさりげない"心の揺らぎ"を時の移ろいと共に枯淡と綴った短編集。
冒頭の二作の主人公はかつて所縁があった(かもしれない)場所へ一人旅をする。そこで、死別や離別を含む過去の回想と現在とが入り混じって語られるが、壊れたり死んだりしたのは相手ではなく、主人公自身かもしれないとの印象すら持たせる。過去のある事象との係りで語られるため、現在までに時間の経過があり、過去の事象の記憶や現在の自分の存在感の曖昧性が浮き彫りにされる。「今、こうして生きている自分は何者なのか ?」と言う根源的な恐怖である。「下の人」も、"下の人"はヒロインの別面とも考えられ、やはり人間の存在の揺らぎを感じさせる。「成人」は作者の常態とは真逆の創作過程を踏んだ実験的作品。「逃げよう」も小学生時代の記憶と現在との交錯を狙った作品。「十万年」は作者の怪談観を述べた論文風物語でありながら、シミジミとした哀感を残す秀作。「知らないこと」は兄妹の近所話が続く中、最後に人間の存在性を微塵に砕く本当に怖い話。「こわいもの」は"幽かな霊"と言う本作の題名に係る話で、作者の創作手法が窺えて興味深いと共に、掉尾を飾るに相応しい作品。
筆運びも相変わらず巧みである。各頁の最終行で必ず文を終らせる恒例の書式。「手首を拾う」で石の下から船虫を取出し、「八犬伝」中の妖女「船虫」を連想させ、主人公の妻の状態を暗示する手法。更に、7年前に手首を埋めたのは主人公ではないかと疑わせる妄想の連鎖...。8作の中には、これまでにない新しい作風のものも多いのに、各々違った方向から読む者の存在を揺るがす手腕は流石と言える。従来より幅広い手法で新しい怪談の道を切り開いた意欲作。
題名の通り
(2008-09-18)
8つの短編が収録されていてそれぞれ趣が違います。
物語を読んでいるというよりは、他人のある日常を覗いているような
感じがします。
「怪談」と言うほど怖さを狙っていないし、かといってたんなる小説
でもない。まさに『幽談』というタイトルがぴったりだと思います。
目の前にある世界が突然壊れていくその怖さの表現は素晴らしいです。
日本語の美しさとその表現の可能性を見せつけられている感じが
しました。
居心地の悪い恐怖感
(2008-09-08)
何の為に現れているか判らない「幽霊」、
名前が付いていない「化け物」、
京極先生の他の物語に出てくる「座りの悪い」感じ、
名前の無い妖怪は説明できない恐怖、
まだ半分読んだだけですが、あとを引く粘つく怖さは、怖いこととは何かを考えさせられます。
悪意を向ける者も怖いのですが、何の為にこちらを見ているのか判らない者も怖いです。
一つの事は当たり前の事でも、総てが揃うと異様な姿が現れる、
このこの本はそんな物語が集めてあるようです、
異様な物語を解体して日常を取り戻す陰陽師、異様なお話を組み上げて歪みを収める御行坊主、
京極先生の長編はそのようなお話が多いと思いますが、
この本にあるお話しはその長いお話の中の1ページの恐怖のような気がします。
つまり京極先生の長いお話の一場面に入るような気がします。
まだ半分しか呼んでませんが。
おすすめ度:
前半は内田百間に肉薄
内田百間(門構えに月)の幻想小説のような怪談集。全8編で、うち後半の3編が書き下ろし。
他誌掲載作の方がレベルは高い。とくに最初の2編は、人生に絶望した中年インテリの心象風景として優れた作品と思う。一方、書き下ろしは明らかにレベルが下がり、とりわけ最後の一編では、この作者の悪い癖である、まとまらない思弁の垂れ流しが目立つ。
私の子ども時代の記憶は断片的で、たとえば引っ越しの記憶は、眠っていて目が覚めたら新しい家に居て、頭の傍に新幹線の模型が置いてあった、ただそれだけである。なぜそんな、劇的でも何でもない記憶だけが後年まで長々と残ったのだろう?
小さい頃、母が忙しくていっしょにゲームをしてもらえないと、母からよく「花子さんと遊びなさい」と言われた。花子さんと私は、仲良くいっしょに遊んだものだった。そこに居ない誰かを相手に遊ぶ子どもの話はよくあるが、私の場合、そこに誰かの存在を認識していたわけではない。しかし私が夢中で演じた一人二役が意識的なものだったかと言われると、そうでもないような気がする。花子さんはその場に居たのだろうか?居なかったのだろうか?
内向的な人間が密かに考えるような疑問を、本書では何度か扱っている。こうした空想に親近感をもてる読者にとって、本書のリアリティは高い。論理的整合性は乏しくても、主観的整合性が高ければ、小説は十分成立する。それが最近読んで不満であった「おそろし」(宮部みゆき)との違いである。
意欲作
私は京極夏彦氏が書く、こてこてのミステリー作品が大好きだ。
この短編集は一読すると薄く内容もないように感じるけれど、ミステリーの仕掛けやキャラクターといったもの外した、京極作品のエッセンスが凝縮されている短編集です。
まるで京極堂シリーズの関口巽がひとりで思い悩んでいるような話もあえば、荒唐無稽なフリークスが登場したりもする。
徐々に盛り上がってきたところでお預けをくらうような、むず痒くなるサジ加減が凄いと思った。
けっして純文学ではないけれど、とても文学的で考えさせられる話ばかり。
怪談の新境地
京極氏が日常のさりげない"心の揺らぎ"を時の移ろいと共に枯淡と綴った短編集。
冒頭の二作の主人公はかつて所縁があった(かもしれない)場所へ一人旅をする。そこで、死別や離別を含む過去の回想と現在とが入り混じって語られるが、壊れたり死んだりしたのは相手ではなく、主人公自身かもしれないとの印象すら持たせる。過去のある事象との係りで語られるため、現在までに時間の経過があり、過去の事象の記憶や現在の自分の存在感の曖昧性が浮き彫りにされる。「今、こうして生きている自分は何者なのか ?」と言う根源的な恐怖である。「下の人」も、"下の人"はヒロインの別面とも考えられ、やはり人間の存在の揺らぎを感じさせる。「成人」は作者の常態とは真逆の創作過程を踏んだ実験的作品。「逃げよう」も小学生時代の記憶と現在との交錯を狙った作品。「十万年」は作者の怪談観を述べた論文風物語でありながら、シミジミとした哀感を残す秀作。「知らないこと」は兄妹の近所話が続く中、最後に人間の存在性を微塵に砕く本当に怖い話。「こわいもの」は"幽かな霊"と言う本作の題名に係る話で、作者の創作手法が窺えて興味深いと共に、掉尾を飾るに相応しい作品。
筆運びも相変わらず巧みである。各頁の最終行で必ず文を終らせる恒例の書式。「手首を拾う」で石の下から船虫を取出し、「八犬伝」中の妖女「船虫」を連想させ、主人公の妻の状態を暗示する手法。更に、7年前に手首を埋めたのは主人公ではないかと疑わせる妄想の連鎖...。8作の中には、これまでにない新しい作風のものも多いのに、各々違った方向から読む者の存在を揺るがす手腕は流石と言える。従来より幅広い手法で新しい怪談の道を切り開いた意欲作。
題名の通り
8つの短編が収録されていてそれぞれ趣が違います。
物語を読んでいるというよりは、他人のある日常を覗いているような
感じがします。
「怪談」と言うほど怖さを狙っていないし、かといってたんなる小説
でもない。まさに『幽談』というタイトルがぴったりだと思います。
目の前にある世界が突然壊れていくその怖さの表現は素晴らしいです。
日本語の美しさとその表現の可能性を見せつけられている感じが
しました。
居心地の悪い恐怖感
何の為に現れているか判らない「幽霊」、
名前が付いていない「化け物」、
京極先生の他の物語に出てくる「座りの悪い」感じ、
名前の無い妖怪は説明できない恐怖、
まだ半分読んだだけですが、あとを引く粘つく怖さは、怖いこととは何かを考えさせられます。
悪意を向ける者も怖いのですが、何の為にこちらを見ているのか判らない者も怖いです。
一つの事は当たり前の事でも、総てが揃うと異様な姿が現れる、
このこの本はそんな物語が集めてあるようです、
異様な物語を解体して日常を取り戻す陰陽師、異様なお話を組み上げて歪みを収める御行坊主、
京極先生の長編はそのようなお話が多いと思いますが、
この本にあるお話しはその長いお話の中の1ページの恐怖のような気がします。
つまり京極先生の長いお話の一場面に入るような気がします。
まだ半分しか呼んでませんが。
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